仕事を辞めているあいだって、いろんなことを考えてしまうものです。
まあ、私の場合、精神的な部分も大きかったし、反省することも、追い込まれることも多かったので、余計に考えてしまうわけですね。

その中に色々なヒントがあったのだけど、その中から思いついたことを書いてみます。

その筆頭が、タイトルの「説得ではなく、納得にしないとね」ということなんです。
settoku

なぜ、自分がミスったのかを考えた中で、出てきた言葉、これでした。

自分は、言葉で相手をねじ伏せようとしていたのではないか。
説得できたとしても、それが相手に納得できてなければ、結局うまくはいかないのです。

例えば、こういうコラムでも言われています。

人を動かすには説得ではなく納得させる事が大切

説得と納得は、似ている言葉ですが微妙に意味が異なります。これらを混同していると、人を動かすことは出来ないので注意してください。
あまりうまい言い方ではないですが、まあ、そういうことです。
言葉で「説得」して、相手が引き下がったとしても、そ子に不快感が残ったり、不満があれば、結局「他人事」ですから、その負の目は後からまた出てきます。

でも、納得してくれれば、それは「自分ごと」になって定着します。
説得が、こちら主導であり、納得が相手のものであるということが、それほど理解が違うのです。

自分の人生を振り返って、言葉に頼り、自分の能力を過信して、周りを「説得」しようとしてばかりいたのではないか、相手の気持ちに沿って「納得」してもらおうとしていただろうか。
そういう疑問がふつふつと湧いてきたのでした。

説得ではなく納得してもらうには何が必要なのか、どういう言葉が必要なのか、どういう語りかける態度が大事なのか、そういう視点で見直していくことが自分の人生に必要なのではないか。

この半年の間に自分のあり方、今後のあり方に悩んでいた中で、私が気づいたことが、この「説得ではなく納得」なのだということなのでした。