このブログは、私がブログを始めた頃からの記事を元ブログから引っ越しさせているので、古い記事がたくさんストックされてます。

今日、この記事を見て、なるほどなあ、と思ってしまった。


ボトムアップとコンセンサスが日本の進歩を遅くしている

問題点は現場にあるのでボトムアップは欠かせないが、その手法は中間を通さずにトップにチョクじゃなければ、コンセンサスを先にとってしまう中間管理職によって、結局、曖昧な内容のボトムアップになりかねない。

2012年2月1日の記事なので約6年前の記事。
橋下知事に関する意見に関する考えをまとめたものだった。
そして、多くの場合、日本企業でも、政治状況でも、ボトムアップもコンセンサスも、問題を解決するためではなく、問題を先送りするために使われているのではないか
多くのカタカナ語が、特に官庁で使われる際に、換骨奪胎されて日本独自の意味を持つことはよくあることだと思うけど、それは多くの場合、その言葉が何かの言い訳に使われるからだろうと感じる。

ボトムアップは、現場の声をトップにあげる役割ではなく、手続き論に変化し、コンセンサスは合意ではなく反対を言い募るために使われる。

それは全く変わらないどころか、ますますひどくなっているように見える。
責任の所在が曖昧なままにこの国は矮小化していくのだろうか。
忖度と融通の合間でボトムアップもコンセンサスも行き場のないたらい回しにあっている。

このブログで以前書いたことを引っ張り出して、今の考えを付け加える作業を少ししてみようと思います。