ピケティの「21世紀の資本」読みましたか?
21世紀の資本21世紀の資本
トマ・ピケティ 山形浩生

みすず書房 2014-12-09
売り上げランキング : 7

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 私は、コレとか。
週刊東洋経済 2015年 1/31 号 [雑誌]週刊東洋経済 2015年 1/31 号 [雑誌]

東洋経済新報社 2015-01-26
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

コレとか
週刊ダイヤモンド 2015年 2/14 号 [雑誌]特集1そうだったのか! ピケティ『21世紀の資本』決定版/やっとわかった! 池上彰が直撃『本当に伝えたかったことは何ですか?』/池上流 3つのポイントでかんたん解説/識者11人のピケティ支持率付き わたしは『21世紀の資本』をこう読んだ/8つのステップで早わかり 図解 ピケティ入門週刊ダイヤモンド 2015年 2/14 号 [雑誌]特集1そうだったのか! ピケティ『21世紀の資本』決定版/やっとわかった! 池上彰が直撃『本当に伝えたかったことは何ですか?』/池上流 3つのポイントでかんたん解説/識者11人のピケティ支持率付き わたしは『21世紀の資本』をこう読んだ/8つのステップで早わかり 図解 ピケティ入門

ダイヤモンド社 2015-02-09
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
 
で分かった気になってます。
訳者の山形浩生さんのブログで、いろいろピケティ関連本の論評をしているので、それも読みました。
 
で、感想としては、日本の経済学者の解説本や要約本を読む必要はないと思います。
大体、日本の経済学者は、世界の経済学に対する貢献なんかないし、 
結局、日本向けに矮小化した印象を書くだけで、あとはアベノミクスとの整合性だの、自分のポジショントークだからね。

それだったらば、やはり一次情報である本誌を読む方がいいし、その時間と根気がない人(私もそう)には、山形産があんちょこを配っている(こちら) から、それを読むことを進めます。
 
こういうビジネスマン向けの要約記事とか読んでいると、どんどん頭が安直になるから、 元ネタに当たりましょう。

その辺は、このあいだ書いた記事(こちら)で思っている通り。
 
ダイエット本を読んでも痩せないように、安直な記事を読んでも本質には迫れない。
どうせ読むならば、解説本を書いた一人の、この人のブログからの転載が面白い。
 
高橋洋一「ニュースの深層」「ピケティ格差解説」TV番組に出たら、出演者がみんな「所得トップ1%に入る年収」だった 
土曜日のBS朝日では、おそらく出演者どころか、番組関係者の誰もピケティ本をきちんと読んでいなかったようだ。
多分、今企画されている多くのピケティ話は、こんなところだろう。
しかも、その企画者の多くは、ピケティの話の対象者なのに。
日本でトップ1%とは年収いくらなのかについて、年収1300万円とだけ言った。
そうしたら、筆者の隣の女子アナがびっくりした。何か、スタジオ全体が「えー。ウソ」という感じで凍り付いたようだった。一緒に出演していた森永卓郎氏を含めて出演者すべて、さらにはスタジオの多くの人が自分はトップ1%だと認識したようだ。
そういうこと。これは、嘘でも誇張でもなく出てくる話ですから。
でも誰も読んでないから、金持ちを糾弾しよう思ったらば、自分が糾弾されることになって、話は変わってしまう。
BS朝日の出演者は、トップ1%を3000万円くらいと思っていたのかもしれない。マスコミが高給取りというだけではなく、ピケティ本という学術書の性格を知らないことも理由かもしれない。というのは、トップ1%は20歳以上の人口の中で所得が上位1%に相当する個人だ、とテレビではいえなかったことを書いたが、働かないで所得のない人も含めた上で、その1%なのだ。給料をもらっている人の中での1%ではないのだ。
問題は、トップ1%であることではなく、その中に富が集中していることで、持っている人が持っているママに、それが受け継がれてしまうこと。そして、資本収益率と労働収益率の差が開いているので、資本の再投資のほうが収益を生むこと。
 つまり、生まれながらにスタートが異なる人達が増えることから、次々と格差が拡大することにある。

 これは、新たな階級闘争だ、というと、マルクスの資本論ぽくなるし、だから少額でも投資をしようというとNISAの宣伝になるし、色々な出口を生むのが、実はピケティの功績であるわかりにくい点だ。

ただ、ピケティのやったことは、データの再整理であり、「21世紀の資本」は、資本のありようを示しただけで、対処法を示したとはいえない。
そこが、マルクスの「資本論」との違いなのだけど、そういう議論にならないなあ。

ノーベル経済学賞を見ていれば気がつくように、公式を生み出したり、計算式を生み出したりしがちな、20世紀後半の経済学者がやっていなかったことで、まさに経済学者がやるべき、経済学者にしかできないことを、ピケティは、この本で示したとも言える。

だから、あとは、経済学者よりは、哲学者や政治家や社会学者あたりが、このデータから何を読み解き、将来をどう設計するのかを議論すべきなんじゃないだろうか。

格差の是正を進めるには、相続税を高めるのか、純資産に課税するのか、その対処法も、どういう社会を目指すのかという社会システムの呈示のもとに議論されるべきだろう。

で、ノブリス・オブリージュという言葉もあることだし、そういうh議論は、1%に入るひとの義務ではないかとも思うわけです。

それが、上場企業の部長クラスだろうと、民放キー局のアナウンサーだろうと、考えること、議論することはできるし、そうした機運が、この国をリードするようになってほしい。テレビ論壇でも飲み屋の議論でも、アベノミクスの功罪ばかりを重箱の隅を突くようにやるよりも、そうした未来を語る話が満ちた国になる方が、よっぽど健全で有意義だと思う。

ピケティはゴールではなく、ブームでもなく、出発点だっと、後の世に評価されるのが一番のピケティの使い道だと思う。