先週金曜日に地震があったので、今日で1週間。
あっという間のような、遠い昔のような不思議な感じです。

そうした日々の連続の中で「日常」を取り戻しつつある方も多いでしょう。
さらに、新たな日常を身に纏いだしている方もいるのではないかと思うのです。

もちろん、被災地で起きていることは非日常の連続であると思います。
一日一日身を削る思いでいる方がいるのも承知しています。

でも、いま起きていることが「日常」になりつつあるというのが一週間目の感想です。

たとえば、自宅勤務やフレックス、定時退社や停電に合わせた時短など、
働き方が多様化しているのは、このまま継続して「日常」にしても良いことのように思います。

いつ起こるかわからない停電を前提とした節電。
これも「日常化」しても良いのではないでしょうか。

子供の頃は大雪が降れば停電があったり、台風があれば停電があったりしたものでした。
電気は天災に弱いという通念のもとに事前に準備をしていただものでした。
それが電力会社の努力の賜物であることは承知していますが、
停電がめったにない日日常のことになってしまうことで、皮肉にも
電気が通ずるということへの感謝が薄れていたのではないかと思います。

だから、停電があるかもしれない日々こそが「日常」だと思い、
それに備えることを日常化していけば良いのではないでしょうか。

各部屋でエアコンを点けて電気を大量に消費するよりも、
いまに家族みんなが集まって、肩寄せ合って暖まる節電暖房の場で
今日会社であったこと、学校であったことを話し合うのが「日常」になるのもいいな。

家庭内でバラバラでいるよりも、皆が顔を合わせることが日常になるといいですね。

テレビを消して、誰かを思うのが日常になるのもいいかもしれません。
悲しい思いだけではやりきれないですが、元気で暮らしている遠くの誰かを想う時間を取り戻し
それが日常になるのは、豊かなことのように思います。

つましく暮らし、買いだめなどせず、譲り合い、闇に慣れ、少し遠くの駅からでも歩く。
そんな暮らしが、日常になるかもしれない。
その始まりを1週間暮らしたのかもしれない。

そんな気がしているのです。