去年も、同じ事をしました。

2011年3月11日からの数日間のツイートを読み返す

今日2012年3月11日は、東日本大震災から1年という日なわけですが、
あの日が金曜日であったのに、今日は日曜日。

何だか、この曜日に意味があるような気がします。

あの日が金曜日だったから、帰宅困難者も翌日の仕事を気にせずに帰れた人が多かった。

今日が日曜日だから、自宅で振り返ったり、追悼したり鎮魂の意を表したりできる。
(と言いつつ、私は仕事で和光にいたりするわけですが)



そして、2年経った今日は月曜日。
当たり前なのですが、当たり前にも意味があるように感じてしまう。

あの日を記録しておいてよかったと思います。

記録:和光市から新宿への帰り方

そして、もう一度、あの日のことを考えるために、このエントリも読み返しておこう。

1週間たって思う「新しい日常」

先週金曜日に地震があったので、今日で1週間。
あっという間のような、遠い昔のような不思議な感じです。

そうした日々の連続の中で「日常」を取り戻しつつある方も多いでしょう。
さらに、新たな日常を身に纏いだしている方もいるのではないかと思うのです。


2年前にアクセスが多かった、このエントリも。

西日本に「疎開」する人がいるようだ

いつもはサラリーマンばかりの平日昼頃の新幹線に目立ったのは
小さな子供連れの若い女性(もう自分が若くないのがわかりますね)というか
お母さんたち。しかも、お母さんというよりも小奇麗な今時のママたち。
つまり、ある程度裕福そうな感じで(ベビーカーがマクラーレンとか)、
関西に実家がある人たちなのでしょう。

これは疎開だと思いました。



2年前と今を比べると、一番の変化はFacebookを始めたせいかツイートが少ないことでしょうか。
ツイートで残していた【気持ち】みたいなものが最近少ないように思います。

Facebookだと、自分が書いたことをまとめる気も起きないし。

それでも、Facebookらしい取り組みには参加してみた。

I'm Here 311『Lifeday』2013

そして、こんなことを書いてみた。

時間はちょっと過ぎたけど。2年前の今日があって、いまがあることを忘れない。そして、その間ずっと苦しんでいる人がいることも。ただ、今日この日が喜びである人がいても、それは素敵なことだと思いたい。人はいろいろな気持ち・姿・状況でいられることが豊かだということだと、あの日を知って思い知らされたのだから




あの日思ったこと、。今日思ったこと。
それを全て書き留めておくこと。

自分を思い出す作業というのは、日々の仕事に埋もれている自分を掘り起こす作業のなるような気がします。

2年前の今日だけではなく、そこからずっと苦難の中にいる人にとっては、思い出したくない日かも知れませんし、続く苦難の中で思い出すより他にすることがある人もいるでしょう。

でも、今日をそういう日にしてもいいですか。


東日本大震災および福島原発事故の犠牲者の皆様に心より哀悼の意を捧げます。
そして、避難されている方、仮設住宅住まいの方には、なんと言っていいかわかりませんが、なんとなく「すいません」といってしまいそうです。

天皇陛下のように、うまく言えればよいのですが。

東日本大震災追悼式 天皇陛下のおことば全文

本日、東日本大震災から2周年を迎えるに当たり、ここに一同と共に、震災によりかけがえのない命を失われた多くの人々とその遺族に対し、改めて深く哀悼の意を表します。

 2年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う大津波により、2万人を超す死者、行方不明者が生じました。震災後に訪れた被災地では、永年(ながねん)にわたって人々が築いてきたふるさとが痛々しく破壊されており、被災者の悲しみはいかばかりかと察せられました。一方、この厳しい状況の中、被災地で、また、それぞれの避難の地で、気丈に困難に耐え、日々生活している被災者の姿には、常に深く心を打たれ、この人々のことを、私どもはこれからも常に見守り、この苦しみを、少しでも分かち合っていくことが大切だとの思いを新たにしています。

 この度の大震災に際して、厳しい環境の下、先進救援活動に当たった自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、多くのボランティア、そして原発事故の対応に当たった関係者の献身的な努力に対し、改めて深くねぎらいたく思います。

 諸外国からも実に多くの善意が寄せられました。物資や義援金が送られ、また、救援の人々も多数来日し、日本の救援活動を助けてくれました。また駐日外国大使など日本に住んでいる外国人を始め、災害発生後の日本を訪れる多くの外国人が、被災地に赴き、被災者を励ましてくださっていることに感謝しています。

 この度の津波災害において、私どもは災害に関し、日頃の避難訓練と津波防災教育がいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、これから育つ世代に伝えていくことが大切と思います。今後とも施設面の充実と共に、地域における過去の災害の記憶の継承、日頃からの訓練と教育などにより、今後災害の危険から少しでも多くの人々が守られることを期待しています。危険な業務に携わる人々も、この度の経験をいかし、身の安全が確保されることに工夫と訓練を重ねていくよう願っています。

 今なお多くの苦難を背負う被災地に思いを寄せるとともに、被災者一人びとりの上に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。




陛下といえば、震災直後のメッセージも素晴らしかった。



いろいろ考えてしまう今日なのです。