毎年、2011年3月11日のツイートを読み返して、それをブログで書いています。

2013年:2011年3月11日から2年経って、もう一度あの日のことを読み返す

2年前の今日だけではなく、そこからずっと苦難の中にいる人にとっては、思い出したくない日かも知れませんし、続く苦難の中で思い出すより他にすることがある人もいるでしょう。

でも、今日をそういう日にしてもいいですか。



2012年:2011年3月11日からの数日間のツイートを読み返す

今日2012年3月11日は、東日本大震災から1年という日なわけですが、
あの日が金曜日であったのに、今日は日曜日。

何だか、この曜日に意味があるような気がします。



2011年3月11日の記録:記録:和光市から新宿への帰り方

TVでは、まだまだ現地からの被災状況を伝えています。
幸運にも、それを見る側に回っている自分。
本当にちょっとした違いで被災する可能性を感じました。



そして、3月12日や13日のツイートもあるのですが、今年は14日について考えました。

2011年3月14日のツイート

この日が月曜日で、色々なものが再開した感じがした日でした。
会社に行って納品を心配したり、馴染みの店が再開を決めたり。
日常がぎこちなく動き始めた日。

1週間たって思う「新しい日常」

でも、いま起きていることが「日常」になりつつあるというのが一週間目の感想です。

たとえば、自宅勤務やフレックス、定時退社や停電に合わせた時短など、
働き方が多様化しているのは、このまま継続して「日常」にしても良いことのように思います。

いつ起こるかわからない停電を前提とした節電。
これも「日常化」しても良いのではないでしょうか。



こう感じた「新しい日常」にしたことが続いているのかというと、どうなんでしょう?
いつの間にか忘れてしまってはいないでしょうか?

そういう、あの日に感じたことを思い出す日とするために、記憶を記録しておきたいのです。

【震災】キオクとキロクのタッグマッチが必要な時期になってきた:2014年3月11日

このイベントで写真という記録の強さを感じました。

最近、FrontBackとかmuukとか写真を使った瞬間を切り取るネットサービスが増えてきている中で、それでは記憶が記録されないなとも感じます。

瞬間の楽しさも大事ですし、キロクとキオクをつなげるサービスも必要なのかもしれません。

ネットサービスやSNSがどの程度メディアのベースとなるプラットフォームとして生きるのだろうとも思います。
自分でもFacebookに流れがちな毎日ではありますが、言葉の記録プラットフォームとしてのツイッターの強さも最近、また感じています。

思い返し、この先に生かす。
前ばかり向いているのではなく、後ろ向きではない、この現在のために。

そういうことを考える日として、14:46を迎えたいと思います。